快療法の里ウリウ

いのちの神様がくれた自然治癒力を最大限に引き出す

症例集

左右の乳ガンを手術して

投稿日:2017年1月27日 更新日:

絵・なりたしおり

ん(48才・演劇制作)

乳癌の手術を受けてから7年が過ぎた。本当に早いものだ。私にとっては大きく外見に関わるがために、7年間1日として忘れることはない。大裂姿に言えば、毎日、生と死について考える機会をもらっているということだろう。

7年前のある日、左胸のシコリに気付いた。その驚きと不安はまさに瞬間的に全身をかけめぐる生存の不安とでもいうような恐ろしいものだった。きっとたいしたことはないだろうと、自分をだますようにして、婦人科で乳癌と子宮癌の検査を受けた。エコーの検査で慌てたのは私ではなく医者の方だった。涼しい顔をして検査を受けにきた女性が癌だったわけだから驚いたに違いない。

医者は私の足を踏んでいるのにも気がつかないようで、動揺しているのがよくわかった。「左は乳腺炎で右は○○ 。まあ、悪いものではないと思いますが、一応大学病院で検査してみて下さい。」エッ右も・…。驚きと不安は絶頂に達している。

T女子医大の内分泌科を紹介された。医者は若い女性を2人伴って現れた。「君、初診でどう思う?」替わりばんこに触る。不安でどうかしてしまいそうな患者を人とも思わず、ちょうどいいお勉強が来たということらしい。ここでは手術をしたくないと本気で思った。次に友人の紹介でH外科へ行った。ていねいな検査、信頼できる言葉、ここで手術を受けようと決心した。今だったら手術を決心する前にもっと冷静に自分でできることはないかと思うのヘだろうが、その時は早く、早くと急き立てられるような気持ちだった。結局、 右にも左にも癌があり、両方を摘出することになった。

健康に人一倍自信があった私にとってこのことはまさに晴天の露露だった。泣いて泣いて泣いて…もう一生分の涙がなくなってしまうのではないかと思うほど泣いた。誰でもがそうらしいが、何でこの私が… 、私ばっかり… 、悪い夢に違いない、そんな思いが回転する木馬のように頭の中をめぐってくる。仕事に追われ、からだに鞭打つように働いていた。

癌は自覚症状がないといわれるがそんなことはない。鈍かったからだが異常を自覚できなくなっているだけだ 。その頃コーヒーが飲めなくなり、疲れ がひどく、ときどき疲れて起き上がれないこともあった。入院で時間ができた私はおそるおそる自分のからだと向かいあった。

ストレス、頭に浮かんだのはこの言葉だった。今思えば恥ずかしいが、ス トレスなんて私ないわ!と豪語していたのだ。しかし、ストレス以外に原因はないように思えた。生活を思い切って変えようと真剣に考えた。

手術を終えて、退院となりその後のために医者から与えられたのは抗癌剤とホルモン剤だった。これだけなの?再発をふせぐために自分にできることはなんなのか?そして訪れたのがウリウ治療室だった。瓜生さんとはまだ今のような治療を始められる前からの知り合いで、演劇の交流で韓国に一緒に行ったこともある。

早速、LETのテストを受けたら全身から癌のウイルスの反応が出た。発病したのは乳癌だったが全身にその種はあったんだと思うと、人間のからだは本当に一つ一つがつながっているの だということがわかった。

その日から飲尿、アイロンを始めた。病に対して方法があるというのは素晴らしいことだ。次第に癌のウイルスは占領していた場所を明け渡してくれた。確かにからだが反応している。自分のからだを自分のからだとして恐れることなく見つめていけるようになった。もうどんなことがあっても冷静にからだと向かい合って対処出来るとうれしくなってきた。

手術から2年後、下痴が止まらず体重が5kg減った。LETの検査の結果、大腸癌の反応が出た。このまま放っておけば1年後に開腹手術だと言われた。 またもやガーンと頭を打たれ、何のことはないオタオタとしてしまった。からだと向き合うとは健康なときは余裕を持っていられるが、コトが起きるとそうはいかない。人間なんて本当に情けないものだ。

しかし、少しは冷静になっていたとみえて、その時は野菜スープとアイロン等の療法で3ヶ月で反応が消えた。
やればできるじゃない、思わず自分をほめてしまった。私は多くの人たちのおかげで病を何とか乗り越え、こうやって今生きている。本当ならもっと潔い生き方をしたいと思うのだがそうも いかない。

病は多くのことを教えてくれる。神様は私にとても大事なことを教えてくれるために病を与えてくれたのだと思うが、どうも未だにきちんとと受信できていないようだ。いったいそれが何なのか、また、8年目にして初心に戻るときが来たようだ。

《ウリウからの経過報告》
H.Nさんの初診は80年で、この方ともずいぶん長いおつき合いだ。はじめは芝居仲間の気軽な関係で、治療室の会員になってもらった。生理不順、肩こり、甲状腺のはれなどは、そのうち治っていった。
91年7月に10年ぶりに来診。6月13日と20日に、左右の乳ガン摘出手術をしたと聞いて仰天した。LETで探ると、全身にHTLVIとCEA (ガン胎児性抗原) とが反応し、肝臓と下行結腸に、転移性腺ガンの組織標本が反応した。手術はしたが、ガンの全身的な活動力は、少しもおとろえていないという証明だ。
食事療法、活生器、尿療法など、厳重な指示をしてやってもらった。心配した肝と結腸の転移の反応は、半年ほどで消失したが、左腕の痛み、腫れ、回後不能はいっこうに良くならず、この方が探してきた松根油で快方に向かった。やっと92年7月に、左手で電車のつり革をつかむことができるようになった。
小さな劇団の制作なんて、最もハードな仕事で、相かわらず苛酷にやっていたためか、下行 結腸に腺ガンの反応が出た。再びガンが動きだしたようで心配したが、立石さんの野菜スープに尿を混入するやり方や、アイロンの手当て、食事療法で乗り切った。
98年になって、数ヶ月間、股関節痛が続いている。力ンの骨転移などではなさそうだが、いよいよ本格的な自己管理に、乗り出す時期かもしれない。

「生命の神よありがとう」1998年(快医学の里研修センター発行)より




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