快療法の里ウリウ

いのちの神様がくれた自然治癒力を最大限に引き出す

症例集

直腸ガンの宣告を受けて手術を拒否

投稿日:2017年6月23日 更新日:

H.Kさん(48才・ネパール研究家)

私が体に変調をきたしたのは、近世史の研究でネパールに滞在している83年の5月中旬だった。体に悪感が走り高熟を発して3日3晩寝込んだのが最初の自覚症状だったといえる。抗生物質を飲んで熱を下げると、今度は腰部に異常な激痛が走り、そのままベットから起き上れなくなってしまった。
3週間を越える睡眠不足や便秘、腰部の痛みに呻吟していた私の惨状をみかねた友人が、日本で精密検査を受けるよう勧めてくれた。

7月2日に帰国すると、友人の手配で瓜生先生から紹介された新宿の榊原記念クリニックS医師の診察を受けた。S医師は別に車京女子医大整形クリニックのI医師、榊原クリニック分院のM医師を紹介してくれた。M医師の紹介で東京女子医大消化器センターW医師とK医師の診察も受けた。問診、触診、血液、X線、エコー、さらに注腸検査と何度も繰り返される検査の連続にいささかうんざりしたことは否めない。

そして各医師の診断する腫瘍・膿瘍・潰瘍等の病名の不一致に、戸惑いや不安、「嫌な予感」を覚えていたことだった。 続局、90%進行性の直腸癌であることがS医師から両親へと伝えられ、それを私は父から直接聞かされた。悪い予感は的中したのだ。いきなりバットで殴られたような衝撃にうろたえたことは隠せない。

33歳の体では転移も早く、1ケ月も放置すれば直腸が閉塞し生命の保証はない、といってメスを入れても何ともいえないという。術後は当然抗癌剤の投与やコバルト照射の治療が続くだろうということだった。さらに人工肛門を着けることは必至であるともいわれた。私は自分のおかれた情況を把握してゆくに従い、現代医学に身を委ねて手術を受けることへの本能的な拒絶反応が湧き起こるのを覚えていた。

どんな治療を施してでも生き延びたいと願う人もいるだろう。だが私は不自由な体になったうえ、体に苦痛を与え、副作用の明確な放射線を浴びてまで生に執着する気持はさらさらなかった。生命の絶対尊重という西欧亜流の甘いヒューマニズムが当然視される風潮のなかで、「見事に死ぬ」ことを考えるより深遠な死生観だって日本にはまだ生きているのである。

「死」に対する恐怖は 人一倍強いものの、それも運命と覚悟を決め、死と拘泥なく向い合う生き方も許されていいはずだ。7月14日、そのような心境でいた私に手術をしないで治療・治癒させる方法があると、紹介されたのが池袋の瓜生先生だった。診察後、「まだ充分に治る」という力強い先生の言葉に、私は瓜生先生と東洋医学的治療に自分の運命の一切を賭ける決心がついた。 両親をはじめ多くの友人たちは、手術を拒否した私がまるで座して死を待つ無意味な行為に映じていたらしい。

周囲に漂う懐疑的な空気のなかで、両親は気も早く私の葬儀の心配をしていたという。治療に先立って先生が云われた基本的な患者のあるベき姿勢は極めて明快だった。つまり癌に対しては、自分の心と体で正面から取り組むこと、医師はあくまでも患者の治癒力を引きだす手伝いにすぎないということだ。

元来病気は体全体の相対的なバランスのくずれから生じて抵抗力や免疫系の働きを失なう体の内部に主因がある。従って断食を通して生得の自然治癒力を促し、操体法と線統医学で体の外側と内側の歪みを正して「玄米菜食」の食事療法で体質改善を図れば、病気は自ら治るということだった。また闘病の支えになる本も数冊勧められたが、ことに米国の医師が前立腺癌を食事療法で完全治癒させた記録には随分と勇気づけられ印象深いものがあった。

7月17日、早速一週間の水断食を含めた1ケ月間のミルク断食を始めた。末期癌患者多数を救っている加藤先生が考案されたものである。病前62Kgあった体重は断食前の50Kgからさらに 45Kgまで下ったが、毎日1回の排便があり、黒い宿便が排池されるに及んで心身ともに来快になっていった。日課では操体体操で体の歪みを正しいフレッシャーを全身の経穴にかけ、肝腎牌腸足に温湿布の糾励根をあてる治療を続けた。補助療法として瑞瑞草と豊寿を毎日飲むことが義務づけられ、他にリンパ液の循環をよくする金魚運動や丹田呼吸法も教わった。

8月14日、ミルク断食が終わると小倉重成先生の指導するメニューをベースに瓜生先生が補足された肉・魚類・ 砂糖・加工食品の一切を除く1日1食 の玄米菜食生活に入り、朝と昼は続けてミルクを飲んだ。8月25日には大阪から講演で上京された加藤先生の整体マッサージを直接受けるチャンスに恵 まれ、「これは治る」と太鼓判を押された。

9月26日、癌細胞が転移しているかどうか検査するため、再び榊原クリニックのS医師にお願いして血液とX線検査を受けた。結果は心配していた転移もみられなく、血液検査が正常値を示していたことから治療に一層の励みとなった。S医師からは「丸山ワクチン」の服用を勧められたが辞した。

1月18日、治療を初めて半年が経過した。東洋医学的な治療に専念してきた効果を現代医学の技術で検証してみるために、M医師より注腸検査を受けた。せめて癌細胞の増殖を防いでいてくれればと願いをこめた検査であったが、患部には影がひとつも写ってはいなかった。M医師はX線写真を前にして 現代医学ではありえない」とその感慨を漏らし、S医師はそれを「驚天動地だ」と表現した。しかし安心はまだできない。両医師念の為に細胞診と内視鏡検査の最終確認を取る必要を私に勧めた。

瓜生先生にも相談した私はより確実性を期すために1月31日、最終審判をその内視鏡検査に委ねることにした。検査は僅か30分足らずですんだ。結果は注腸検査を追認する形で完治していたことはいうまでもない。エンピツの芯がかろうじて通るはどに狭窄していた患部は、癌細胞の痕跡を全くとどめていなかったのだ。私の直腸癌は完全に治癒していたのである。その結果に私は雲の上を歩いているようなエクスタシーを感じていたことだった。

半年にわたる闘病生活から得た嬉しい結果は、決して奇跡ではなかったといえよう。それは現代医学で承認されない千島喜久男先生の「血球と固定組織細胞との栄養状態の変化による可逆的分化関係」の学説に従えば、「癌細胞が赤血球に逆分化」したに他ならないからだ。幸運にも瓜生先生のお手伝いを得てそれを私が実証したにすぎないのである。

しかし問題は解決してはいない。癌を一度抱えた体はそれだけにバランスのくずれから再発も容易である。回復を願い私を支えてくれた方々の意に答えるためにも、これからは再発予防という回復後の闘いが、まだ私には残されているのである。

(1985年1月ウリウ治療室通信2号より)




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